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モネに会いに [その他]

昨日、仕事の間隙を縫って、モネ展に行ってきた。
その時の感想をまとめておく。

monet.jpg

モネと言えば「日傘を差す女」とか「睡蓮」は知っていたし、とても好きだった。でも、本物は見た事がないし、そういえばどんな風体の人かも知らなかった。
展覧会にてやっと本物に会えた。予想を遥かに上回る感動があった。師匠と呼ばせてください。いや、巨匠だ。わお!
ちなみに、感動をメモしていたら、ボールペンやシャープペンは利用禁止だから鉛筆を使ってくださいと手渡された。ルール知りませんでした、ごめんなさい。
閑話休題。
で、そのメモを書き出してみる。メモと、そのときの気持ちを思い出してみる。
・光を置く。
 光を描いたところが光ってんですよ。光を描くというよりも光を置いているようなタッチに見えたゆえのメモだな。
・思い出の残像がキャンバスに描かれている。
 印象派と呼ばれる絵ってピントが合ってない絵だと思っていた。合ってないからダメという意味ではない。
 立ち止まって絵を見ていると、ボケた風景に既視感を覚える。なんか見た事がある記憶の中の風景を探し始める。印象が記憶とか想像の風景として立ち上がって、見ているものはぼやけているのに、心の中でははっきりとしたイメージとなっている。
 印象故にそれぞれの風景が想起されるのかなと思う。
・構図
 空が開いているだけではなく、風が吹き抜けていく。
・動き出す
 例えば、光を反射する海が描かれている。じっと見ていると、キラキラと光り出し、さざ波が動き出す。固定化させた一瞬の模写ではなく、見て感じた心象を描いているが故に鑑賞者の心の中で絵が動き出すのかもしれない。
 心で見る事を誘われる絵だ。

以上、メモより。

 とにかく凄かった。勝手に師匠と呼びます。本物を見ることで、もっとモネが好きになりました。ああ、眼福。

 睡蓮が咲く頃、モネ風の写真を撮りたいと思います。

おまけ
 モネのご尊顔を始めて拝見いたしました。がっちりごっつい人で驚いた。俺でもいけるかも(なにが?)と思ったね。髪型とか真似てコスプレしようかな。

おまけその2
 眼で見ているものってのは、見えているそのままではないんだよね。
 眼が見た情報は、脳が処理し、心のフィルターがかかっているからね。
 今見えている光景というのは心の介在が常にあるんだよ。

モネ、風景をみる眼―19世紀フランス風景画の革新 [国立西洋美術館]

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